【視聴数 13137】
【チャンネル名 ANYAチャンネル】
【タグ 動画,ビデオ,共有,カメラ付き携帯電話,動画機能付き携帯電話,無料,アップロード,チャンネル,コミュニティ,YouTube,ユーチューブ】
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参考になりました。西晋世祖武帝(司馬炎)治世。289年、劉氏 山陽公(劉瑾)。劉瑾は、289年に死去。劉氏 山陽公(劉秋)劉瑾の子、劉秋が跡を継いだ。
289年、劉秋の弟・劉阿知(阿知使主)が、百済により倭国へ数千人を引き連れ、流亡。為日本原田氏、高橋氏之始祖。应神天皇二十年(太康十年・289年)九月帶儿子都加使主(都賀使主)与族人由百济東渡日本,自稱汉灵帝曾孫。墾居在大和國高市郡一帶,成为大和王权中的地方官東汉氏始祖。309年(永嘉3年)、西晋の侵攻により、劉秋を殺害(劉氏断絶)。
阿知王は百姓漢人を招致し、その末裔には高向村主、西波多村主、平方村主、石村村主、飽波村主、危寸(きそ)村主、長野村主、俾加村主、茅沼山村主、高宮村主、大石村主、飛鳥村主、西大友村主、長田村主、錦部村主、田村村主、忍海村主、佐味村主、桑原村主、白鳥村主、額田村主、牟佐村主、田賀村主、鞍作村主、播磨村主、漢人村主、今来村主、石寸(いわれ)村主、金作村主、尾張の次角村主がある。 大和国今来郡、のち高市郡檜前(ひのくま)郷に住んだ。民忌寸、蔵垣忌寸、蚊屋忌寸、文山口忌寸らが天平元年(729年)から高市郡司に任ぜられた。蚊屋(かや)氏には蚊屋木間がいる。その後、摂津、参河、近江、播磨、阿波にも移住した。ほかに美濃、越前、備中、周防、讃岐、伊勢、三河、甲斐、河内、丹波、美作、備前、肥前、豊後にも住んだ。と、ありました。阿波からか、高市か、年代ではどちらでしょうか?如何でしょうか?
最近、徳島が神話起源との話にとてもワクワクしてのめり込んでおります。私も徳島出身です。実家に帰省し、徳島を回ってみたいと思います。実家は元もと神社でしたが、今では近所の神社の脇社として祀られています。残念なことに、今では何も残っていません。しかし、実家の荒れ果てていたご神木を綺麗にしてお祀りしましたら、不思議なことがおきました。夜中じゅう、太鼓の音が鳴り響いたのです。喜び祝福の祝い太鼓です。翌朝、カメラで写真をとりましたら、はっきりと大黒様のお姿が写っておられました。その後は肉眼でもはっきりとお姿を拝見することができました。
大黒様は阿波の実家のご神木に現れるほど、地元と深いご縁があったのです。
それにしても、神様は今でも日本を守るお気持ちを持ち続けていらっしゃるのは、ありがたいことです。
天女の足跡は知ることは出来ないは誤りかと思います。一語一音一義、カタカムナが鍵となり、超古代神々音名によって全世界との繋がりを知ることが出来ますね。言葉は音であり音はそのまま意味でもある事を知れば知る程、外国語も一つに繋がっている輪であると思えてなりません。
沖縄本島最北端の国頭村には、「安田(アダ)」「伊部(イブ)」「安波(アハ)」など、阿波や忌部氏を連想する地名があります。屋久島にも「安房」の地名があることから、忌部氏は九州から島づたいに沖縄にも来ていたのでしょうか。沖縄県の考察もぜひ、よろしくお願いいたします。
伊勢は続日本紀などの古い表記では「伊世」と記されていた記録もありますが
伊世なら「イヨ」とも読めますね
『だから何だよ?!』と言われても困るのですがw
新しい説ありがとうございます。是非広めて下さい。より多くの情報を収集して理論体系化して下さい。
たいへん興味深い動画の作成と配信、ありがとうございます。思わす一気に全部見てしまいました。
神々の名を冠した神社の多さはもちろんですが、魏志倭人伝を無理なく解析された位置関係の解説には、畿内説や九州説の学者先生も、きっと苦い思いをされていることと存じます。
さて私は今大阪在住ですが、父の出身は宮崎県の高千穂で、祖父が顕在だった頃はよく、実家のある久士布流多気の中腹や、そのすぐそばに鎮座されます槵觸神社の境内で遊んだものです。
周囲には、神々にまつわる場所や名前があふれており、地元の宮司の話によると、我が家の祖先は江戸時代まで、高千穂一帯の神社の神職や地侍であったとのことなので、そのルーツにちょっとした誇りも感じております。
そんな私ですが、貴チャンネルを拝見し、すっかり邪馬台国阿波説のファンになってしまいました。
高千穂在住の親戚には夜神楽の舞手もおり、その舞の見事さは鬼気迫るものがあるのですが、高千穂は天孫降臨の地であると、私も信じておりましたし、何より地元の人たちにとっては、天孫降臨の地が阿波に確定してしまうことは、恐らくいろんな意味で打撃になるだろうなと感じるがゆえに、ちょっと貴動画を見るように勧める気持ちが起きないでおります。まぁまだ確定してはいない訳ですが。
ところで、ちょっと不思議に思ったのですが、この夜神楽の縁起では、平安末期から鎌倉時代にかけて成立したと言われています。その歴史は約800年ほどです。江戸時代には、神社の社殿か神楽殿において、人々が舞を奉納していたそうです。また、社伝によれば、三毛入野命が神籬を建てて祖神の日向三代とその配偶神を祀ったのに創まり、三毛入野命の子孫が長らく奉仕して、後に三毛入野命他の十社大明神を配祀、垂仁天皇の時代に初めて社殿を創建したと伝える。とWikiにあるように、歴史は相当古いようです。もっとも、明治以前、古来「十社(じっしゃ)大明神」や「十社宮」などと称されて来たともありますし、『延喜式神名帳』の記載はないそうなので、そこは少し残念なのですが、いずれにせよこの地が由緒あるものということだけは確かに思えます。
そうなると、明治政府が長州や薩摩に近い場所に神話の原点を持ってきたかったという説は、全否定はしませんが、それよりももっと古い時代に大和政権の規模の大きさを示す目的かなにかで、神話の適地を探したものではなかろうか?あるいは九州の勢力を統治する際に神秘的な場所を神域として使った?または、地元の豪族が自分たちの由緒の正統性を語るために創造した?という考えがいろいろ浮かんできました。とはいえ、大和政権の指示だった場合、神武の東征の出発点が九州であるメリットがあまりしっくりこないのですが。もしかしたら、藤原側のルーツが九州にあるのでしょうか?
最後に高千穂町にある天岩戸神社の天安河原には行かれたことがありますか?天照大神が岩屋に籠られた際、八百万の神々が対策を相談した場所とされている岩屋ですが、長年そう信じられてきた人々の念が籠っているのでしょう。なんともいえぬ神秘的な空気が漂っています。私は子供のころ宇和島で育ったこともあり、阿波が日本の始まりでOKなのですが、この高千穂との関係性も含めて、古代の謎が解き明かされていくことを望んでいます。
今後とものご活躍を期待申し上げております。
長文失礼いたしました。
まだまだ勉強不足ですがおかげさまですっかり阿波にはまり楽しい日々を送ってます(^^)オオゲツヒメ=阿波国が気になって上一宮大粟神社を参拝しました。神殿の向きを確認したら北東を向いていてそれは八倉比賣神社もしくは大麻比古神社の方向でした。さらに延長すると丹後半島に行き着きます。神殿の向きに何か意味があるんじゃないかと勝手にはしゃいでます(^^)ちなみに八倉比賣神社の神殿は眉山カントリーの方向を向いてました。
折角だから西照神社にも足を伸ばしました。罰当たりかもしれませんがご祭神の月讀命に少し違和感ありました。海を任せられた素戔嗚尊だと見張り役としてすっきりするのですが。本殿はイザナミ神社を向いてましたし(素戔嗚尊はイザナミのところに行きたいとイザナギに懇願したとか)。