【視聴数 42859】
【チャンネル名 ゆっくりするところ】
【タグ ゆっくり解説,事件,事故,検索してはいけない言葉,ゆっくりするところ】
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被災者です。当時、高校生でした。
擁壁が崩れ、そのまま家も流されて全壊で生き埋めにはなりましたが、奇跡的に家族も近所の方も命は無事でした。
そして、この間、建て直した家のローンがようやく終わり、これで一区切りつきましたかね!お父さん、本当におつかれさまでした!
今日の内容は、すごいです。改めて詳細を知ることができました。
ほんとにレベルが高い。
当時中学くらいだったかな?寝ていて急にズドンと揺れビックリして飛び起きた記憶がある。
でもウチは大阪でたいした被害もなくビックリするだけで済んだけど、テレビで神戸の様子を知って震えました。なんか社会の教科書で見たような風景が現実で起きて本当に怖かった。
物心着いた中で初めて見る大災害でした(幸い他県でニュースで見るだけでしたが)
高速道路が倒壊したのは物凄いインパクトでした。
この後の地下鉄サリン事件といい、95年は凄まじい年だった記憶です。
自衛隊も満足に動けなかった点があったから
今後の活動にまた変化していったんだよね
当時は過度に期待されてただけに自衛隊への批判も結構多かった
それでも必死に救助活動したのは頭が下がる想いで一杯だよ
大学生の時、後輩が枕元に靴を置いていて「何でこんなとこに靴置くの?」と聞いたら「俺、神戸出身ですよ」って答えてしばらく意味がわからなかったけど、すぐに「地震の時に1番必要なのは靴です」と教えてくれて、すごく説得力がありました。
彼は一生枕元に靴を置いて寝ると断言してたのが忘れられません。
当時は神奈川に住んでましたが、普段は目覚ましの時間まで起きないのに、鳥肌が立つ感覚がして目が覚めました。いつもはそういった感覚の後に揺れが来るので、布団で上半身を起こして「あれ?来ない」と思い、気のせいだと感じてトイレへ。
しかし目が冴えてしまって二度寝出来る気がしなかったので、居間へ行ってテレビをつけました。その数分後に画面が変わり、倒れた高速道路の映像が。
あの朝の事は今も鮮明に覚えてます
この時は、皆様方が忍ばざるの心で、居ても立っても居られないと駆けつけていただきました。本当にお話しを聞いてくれるだけでも被災者の心がどれだけ安まったことか。物資を運んでくれるや、片付けを手伝ってくれる以外でも、なんとかせねばの気持ちが嬉しかったです。
毎年、正月、成人の日、大学入試共通テストの後に、この暗い話題がやって来るんだよね🤔
京都も震度5だったなぁ…テレビつけたらあの映像。いきなり下からの強烈な『ドォーン‼︎』という衝撃の後、『ゴゴゴォー!』という激しい横揺れだったのは忘れない。最後に阪神淡路大震災の事を取り上げてくれてありがとうございます。(当時は高校3年生でした)
これ以降かなり防災意識が上がったと思うわ
ボランティア、災害初期は邪魔な事が殆どらしい。自己完結型ではないから。
『自分の面倒は自分でみられる』組織でないと十分な活動が出来ない。
事実上、満足に活動できる自己完結型集団は自衛隊のみ。
自身の食事やトイレに身体を清潔にする事や睡眠等、日常生活全般を他組織に頼る事なく活動できる事が最低限必要。
ボランティアとして来たのに、厚かましく食事を要求したりするようでは本末転倒。
本末転倒以前に厚顔無恥なのがマス・メディア。邪魔になる場所に放送車などを駐車して災害対応している車両を妨害したり、下手をすると自分たちの食料すら持参しないケースに、夜間に避難所の方々に対して強力なライトを照射するなど傍若無人な振舞いが多い事は、過去の実績が証明している。
ボランティアの意思そのものは尊重されるべきたが、勘違いしている場合は極めて有害である、と思う。
自分は京都に住んでいて、阪神淡路の時は生まれていませんでしたが、「震災の前年に、この家(実家)を建てたから被害は少なかった」と家族から後に聞きました
ゆっくり出来ない話し
取り上げていただきありがとうございます。当時西宮市に住んでました。3歳位でしたが断片的な記憶があります。半壊のアパートから命からがら出てずっと泣いていたのを覚えてますね。
正直、私は当時…中2で前の年の10月に近畿地方に修学旅行に行ってた。
この地震が起きたとき…トイレで夜に起きてトイレに行ってた…立とうとしたときに『グラッ』って来た。
朝目が覚めて、ニュースを観るまで大事になってたことに気づかなかった。
…私は愛媛県に住んでいるんだけど、揺れがあった。
それで無くても、
「大人になったら関西に行きたい」
ってずっと思ってる。
修学旅行で行った関西の風景が変わってしまってて、泣きそうになった。
私がそれ以上に傷ついたのは、
私と年の近い人の被害者が多かったと言うこと。
そして、天井と机に挟まれて亡くなった人たちが多かったって知った事。
私の親戚が神戸の長田区に住んでいるらしく、父はかなり焦って居ました。
父の兄弟で神戸の親戚に毛布やらカップ麺やら送ってました。
『1月17日』は私の中である意味トラウマです。
ちなみに京都の方には年末年始の家族旅行で行きました☺
神戸の方には子供が小学校に上がってから3回年末年始の家族旅行で行きました。
大阪も通天閣を観に行きました。
工事中で上れなかったのが悔やまれます😣
あとは、『3月11日』かな😣
東北の地震の時は…津波にのまれる町をテレビの中継で観てしまってから、映像を観ると涙が出てくるし、吐き気が来る。
ホントにトラウマです😭
東京在住で、大震災の時は会社員でした。
当時会社のすぐ近くに住んでいた私はギリギリまでニュースを見てから出社しました。
要は社内で私のニュース情報が1番新しい。
出社後、友人たちに高速道路が倒れていることを話しても「日本の高速道路が倒れるわけない!」と、誰も信じてくれなかったことを思い出します。
この大地震の前にあった(隠蔽されたものもあるけど)ものは戦前の関東大震災だったから巨大地震への備えと言う意識も行政始め色々な制度も不備が多かったですね
この地震を教訓に「揺れ」に対する強化が一気に進みましたが大きく発生しなかった「津波」までは意識が回らなかった気がします
そのため東日本大震災では地震本来の揺れへの対処は出来ていたのに「津波」で大被害を受けました
こちらも教訓として制度などを強化しています
今発生が危ぶまれている関東首都直下地震(第二次関東大震災)、東海沖地震、中南海地震、南海地震と周期的に巨大地震で被害が甚大となり得るものが不幸にも同等レベルで発生しそうとなっています
なので皆さんも地震への備えは努々忘れずに・・・ですね
笑い話的に言われているものもあって、「自民党以外が与党になった時に大震災は起きる」なんてのがあります
今色々自民党がやらかしてるのでもしかして・・・・(予言や風評になるのでこれはあくまで笑い話としてですが)
私は当時京都市在住でしたが、居住地区では震度5強でした。家具は設置していた方角がよかったのか、倒れる事もなく、食器が数枚割れたくらいでした。飼い猫が前日から家出して、翌日の午後まで姿を見せませんでした。何か察知したのかもしれません。今でも思い出します。怖かったです。
一連のオウム事件が起きて明るみになったのもこの年だったよね…
思えば物凄い年だったんですね…