【視聴数 20091】
【チャンネル名 にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】】
【タグ 日本史,歴史,ゆっくり解説,江戸】
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実は平安時代に一度「死罪」は廃止になっている。聖武天皇の治世725年以降、仏教を信じる天皇の意向で死罪案件の囚人を全て「流罪」にしている。死罪は五戒の「不殺生戒」の教えに反するとし儒教も入って来て810年藤原仲成が死罪の判決がでても流罪にすることが慣例化し天皇襲撃があったとしても流罪になっている。(天皇の私刑(リンチ)による死亡者はいたが、これはあくまでも事故処理としているw)しかしこれはあくまでの天皇による裁量であって、地方の有力者による死刑もしくは死に至るのは確実な労役は行われていた模様。
新鮮組「近藤勇」は正確にいうと斬首されたのは「板橋刑場(武蔵国板橋宿付近)」そこで斬首され、塩漬けにしてわざわざ「京都三条河原」まで持ってきたもの。そして未だに近藤勇の首、胴体が見つかっていない事実。土方歳三も函館戦争で戦死し埋葬されたが、はっきりした埋葬地が確定できない。これには「火葬」と「土葬」、そして「慰霊碑」の話が明治に混乱が記憶を無くしてしまったと思っています。江戸や大都市圏では「火葬」にしていた。しかし地方では「土葬」の習慣が残っていた。明治になり神道派から「火葬」は「仏教葬方なので廃止にすべき」と言われ明治6年に「火葬禁止令」がでますが、すぐに土葬するための土地がなくなり、また衛生面でも指摘され「火葬」が復活してきた経緯があります。近藤や土方が火葬にされたのなら骨壺でしょうし土葬されたなら塚を作られたでしょう。しかしどちらにしてもひっそりだ。幕末の英雄を持ち出してまた反乱や謀反も困るわけですから。
1:35 当時は死刑が廃止されていたけど、反乱を起こして戦死した場合は普通にさらし首か。
かかる残酷なことが現実に行われていたことに怖気をふるうな。
処刑場のある川の下流には住みたくないなあ
桂川と鴨川は平安の都が出来てから墓地とか無い時代なので罪人でなくても疫病とかでも水葬する風習が有ったみたいですね。(´・ω・`)
????三条河原? 四条とか六条河原ってのは記憶にあるけど。
今の時代のどこそこが何とかで、そんな話だった様な気がするけど。
晒すのが目的のさらし首だから、風景そのものは 昔とかわりないのでは??目立つ場所にしないとさらし首の意味ないし。
腐れ外道へ
近藤勇さんの生首を返して欲しいです。
在郷多摩有志。