【視聴数 506524】
【チャンネル名 鳥人間 中国史三昧】
【タグ ゆっくり解説,歴史,中国史,ゆっくり歴史解説,春秋戦国,始皇帝,秦,白起,キングダム,王翦,李信,李牧,魏,韓,趙,斉,燕,楚】
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この動画を見ていて、中央公論社が昭和35年に出した「世界の歴史」シリーズの第1巻にあった社稷の件のことを思い出しました。そこには確かこんなことが書いてありました。当時の都市国家(都市連合国家)は宗廟社稷の神の権威の上に成立する神権政治組織で、神のまつりはその子孫でなければとりおこなうことができないこと。都市国家同士が戦争をして一方が敗れた都市国家の王の一族を滅ぼすと、この宗廟社稷の祭礼を担当する者がいなくなること。祭られない神は人間にばけてでてきて、ひどいたたりをする。そのため勝った都市国家の側は王家を残して神を鎮めなければならない、という件です。
これは春秋時代初期のことについて書かれた部分なので秦の統一からはかなり遡る話ですけれど、もしかするとこういうことも関連しているのかな、とふと思いました。どうなんでしょうね?
その意味では項羽の秦王子嬰に対する所業は過酷に過ぎた、という事になるのかもしれませんね。
こうして改めて聞くと、いまの中国政府、というより毛沢東が国策として本来は名君だった始皇帝の悪人像を無理やり世界に流布させてた、って説が意外と信ぴょう性あるんだよなぁ
そもそもただの暴君が天下統一できるわけがないし、今の主流になってる名君像の方がしっくりは来るんよね個人的には
その割に楚漢戦争の頃の諸王はポッと出ばかりで正当な王の血筋とよべるのが斉の田広田横ぐらいなのが気にかかる
項羽に扱いきれなかっただけかもしれないけど っとしまった韓王成も正当っぽいな修正修正
記録する価値もない、といった感じで無造作に処分してしまってるのかもしれませんが、楚漢戦争のときに六王の遺児や遺臣が出てくるので案外捨扶持を与えて命だけは助けたのかも。
初の中華の統一王朝だから前例もなく、それまでの戦争と同じ程度の処分だったのかねぇ。
始皇帝より項羽と劉邦の方がエグいやんけ
過去の諸侯の運命
魯頃公 楚により滅亡。魯君に封じられ、社稷は守られるが、頃公の死により断絶。
(姜)斉康公 田氏により簒奪。島(芝罘島?)に追放。康公の死により断絶。
晋静公 魏・趙・韓により分割。流刑に処せられ、韓により殺害。
宋康王 内乱が発生し、斉により滅亡。魏に亡命。
鄭康公 韓により滅亡。消息不明。
陳湣公 楚により滅亡。殺害。
蔡侯斉 楚により滅亡。消息不明。
曹伯陽 宋により滅亡。殺害。
初めてだから色々気を使ってるのがすごいや
れいむどうした(笑)
のちの楚漢戦争時代や漢帝国の時代にもちらほら六国の王族が出てくるけど、数と言い境遇と言い始皇帝の時代にあらかた処分されてるのは間違いないんじゃなかろうか
右のまんじゅうが怖い
伊勢神宮が豊受大御神(穀物神)を祀る外宮と天照大御神(太陽神・皇祖神)を祀る内宮からなるのって、古代中国の社稷が土地神を祀る祭壇(社)穀物の神を祀る祭壇(稷)から成立していることと何か関係があるんですかね?
本宮漫画、赤龍王のイメージやと全員煮殺されたんかと思ったわ!(笑)
内史騰は辛騰と同一人物説がありますね。
投稿お疲れさまです
まってた
秦末に、項梁の軍師范増が、
『懐王の子孫を捜して……』
のくだりで
『あれ、族滅してなかったの?』と正直思った。
その後秦が衰えると、次々に六国の子孫が六国を復活させているが、楚漢戦争の後には、漢朝の功臣▶劉邦の一族が王に封じられている。
結局、社稷の破壊が六国の終焉となったのは確か。
いつになく璋タイムを切望する霊夢と少し引き気味の魔理沙。やっぱこの2人は上手くバランスがとれているな。
「上天ならざれば下あまねく覆われず、心地ならざれば必ずしも戴せられず。上不天則下不遍覆、心不地則物不必戴。」(韓非子)なんて言葉を連想しました。王者が、天の様に大きな心を持たなければ、下に従う人々を覆う事は出来ない。さらに、王者の心が大地の様に広くなくては、万物をその器におさめる事は出来ない。なんて、意味の様ですね。韓非は残念ながら、始皇帝を説得する難題を果たせませんでしたが、韓非を高く評価していた始皇帝に、彼の理想は、伝わっていたと信じたいですね。お話し面白かったです。
そういえば、三国時代の魏晋の司馬氏も蜀の劉禅、呉の孫皓も処断してませんでしたね
日本の朝廷内の権力争いで敗れた政敵が京からの追放で終わっているのと同じようなものかな。陳勝・呉広の乱以後の誰もが王位につけるという時代から血生臭くなる。