【視聴数 24315】
【チャンネル名 にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】】
【タグ 日本史,歴史,ゆっくり解説,江戸】
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明治の廃仏毀釈が日本人を無信仰にした、日本の保守・右翼は神道が理解できていない
廃仏毀釈について – 内田樹の研究室
神仏分離・廃仏毀釈というのは不可解な歴史的事件である。すごく変な話なのである。歴史の教科書では「合理的な説明」がよくなされているが(水戸学が流行していた。明治政府が欧米列強に伍するためにキリスト教に対抗して国家神道を体系化するために行った。江戸時代の寺檀制度に増長した僧侶の堕落のせいで民心の仏教から離反していた・・・などなど)、どうも腑に落ちない。
神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日本の宗教的伝統である。それを明治政府の発令した一篇の政令によって人々が軽々と捨てられたということがまず「変」である。この人たちにとって、千年を超える宗教的伝統というのはそんなに軽いものだったのか?
神仏分離令の発令は慶應四年(1868年)である。「五畿七道諸国に布告」して、「往古ニ立帰リ」「普ク天下之諸神社、神主、禰宜、祝、神部ニ至迄、向後右神祇官附属ニ被仰渡候」という祭政一致の方針が示される。
次に神社に対して「僧形ニテ別当或ハ社僧抔ト相唱ヘ候輩ハ復飾被仰出候」という命令が発された。社僧とは神社に勤める僧侶であり、別当は寺院と神社が一体化した神宮寺の責任者である僧のことである。この人たちに「復飾」(還俗)して、神職に奉仕するように命じたのである。
驚くべきは、この命令に対して全国の社僧・別当たちが特段の抵抗もなく従ったということである。「長いものには巻かれろ」という処世術が宗教界に徹底していたのか、それとも「神と仏といい ただ水波の隔てにて」という血肉化した神仏習合マインドのせいで寺で読経しようと神社で祝詞を上げようと、同じことだということだったのか、私にはわからない。
そのあと仏像をご神体としていた神社に対しては仏像仏具仏典の類を「早々ニ取除」くことを命じた神仏判別令が出された。
それまで神宮寺の多くでは仏像をご神体に祀っていたのである。
この「特段の抵抗もなく」というのが不思議なのである。
ありうる説明としては、神仏分離の当初の意図が「宗教の近代化」であり、すべての制度が「近代化されねばならぬ」ということについて明治初年の民衆たちも「まあ、公方さんもいなくなっちゃったし、なんかそういう潮目みたい」というふうに感じ取っていたからだ、ということがありうるかも知れない。歴史の滔々たる流れに逆らっても仕方がないんじゃないの、と。それくらいの歴史感覚は一般民衆にもあったのかも知れない(わからないけど)。
ターゲットになったのは寺院だけではない。最初に発令されたのは六部、虚無僧、山伏、梓巫女、憑祈祷、狐下しなどの「前近代」的な遊行の宗教者の禁止だった。加持祈祷、オカルト、ノマド的宗教者が「まず」禁止された。そういう「前近代的な宗教のかたち」の徹底排除が近代国家の心理的基礎づけに必要だったと明治政府が判断したのである。
だから、そのあと明治40年代になると、今度は神社合祀令が出て、「前近代的な神道」が排除されることになる。これについては南方熊楠がはげしい反対運動を展開したので、記憶されている人もいると思うけれど、全国20万社のうち7万社が廃されるというすさまじい「神社整理」であった。
神道の国家統制を実施するためには、神社を公費で運営する必要がある。しかし、神社の数が多すぎて管理コストがカバーできない。だから小さい神社は(氏子たちがどれほど信仰していようと、どのような貴重な祭祀や芸能が伝えられていようと)、コスト削減のために統廃合するという政府の態度のうちに「神道に対する敬意」を見ることはむずかしいだろう。
だから、国家神道というのは別にある種の宗教性の価値が高騰したということではなく、端的に「宗教的なものを政治的利用価値だけをものさしにして格付けした」ということに過ぎないのだと思う。
もう一つあまり指摘されないことに天皇家はもともと仏教徒だという事実がある。
京都東山の真言宗泉涌寺は13世紀に四条天皇の葬儀が行われて以来、天皇家の菩提寺に近い機能を果たしていた。江戸時代の歴代天皇皇后は後水尾天皇から孝明天皇まで全員が泉涌寺に葬られている。当然歴代天皇の位牌もここにあり、僧たちが読経してその菩提を弔っている。明治天皇の父である孝明天皇の葬儀は仏式で行われている。今でも歴代天皇の祥月命日には、皇室を代理して宮内庁京都事務所が参拝している。
だから、天皇制=国家神道という図式が成立するのは、慶應四年の神仏分離令からさきの敗戦までの77年に過ぎないということになる。日本の天皇制の全歴史のうちの77年だけである。それを126代の歴代天皇がすべて神道の祭主であったと信じている人あるいは信じているふりをしている人が天皇制の支持者・反対者のいずれにも多い。これは天皇制という制度の複雑さを捨象して、問題をシンプルで、ハンドルしやすいものにしようとする態度の現れだと私は思う。
つねづね申し上げている通り、複雑なものは複雑なまま扱うのが知的に誠実な態度だと私は思っている。複雑な仕組みをわかりやすい図式に縮減して、敵味方に分かれて罵り合うのは知的には不毛なことである。それよりは、素直に「なんだか一筋縄ではゆかぬものだ」と認めて、いったん理非正邪の判定を「かっこに入れて」、ほんとうのところは歴史的事件として何が起きたのか、ほんとうのところその歴史的事件の意味は何であるのかについて冷静に問うということが必要ではないのか。
廃仏毀釈について腑に落ちないもう一つのことは、熱狂的な廃仏運動はかなり短期間で終息し、やがて寺院が再興され、人々が寺院に参詣するようになったということである。廃仏毀釈運動は慶應四年に始まり、明治三年にピークを迎え、明治九年にはほぼ収まった。なんで、そんなにあっさり終わってしまったのか。
1300年続いた神仏習合という宗教的伝統をほとんど一夜にして弊履の如くに捨て去った熱狂が10年も続かなかった。この非対称性がよくわからない。それほどまでに仏教の檀家制度が憎く、僧侶の腐敗が許し難いものであったら、あるいは明治政府の宗教統制が厳格なものだったら、10年で廃仏運動が「収まる」わけがない。でも、あっさり終わってしまって、誰もその話をしなくなった。
羽黒山もかつては山伏が営む宿坊が300軒あり、それぞれの宿坊には「檀那」となる人々がいた。農閑期になるとその町村の人たちが「講」をつくって、連れ立って羽黒を訪れ、山伏の先達で三山で修験場を訪れ行をおこない、遊びながら故郷に帰った。羽黒に雪が降り山に登れなくなると、山伏たちは里に下りてその「檀家」を巡歴して、加持祈祷を行い、お札を売った。伊勢御師と同じである。
あるときは定住する信者のもとを移動する宗教者が訪れ、あるときは定住する宗教者のもとを移動する信者が(聖地巡礼と観光旅行を兼ねて)訪れる。このような宗教と観光、行と娯楽の癒合したかたちは、前近代の日本に広く見られたようで、出雲大社、富士山、熊野などにも御師がいて、各地の檀那たちと密接な「師檀関係」を結んでいた。
慶應四年の神仏分離令では山伏と御師がまっさきに弾圧の対象となった。羽黒山伏は宿坊が10分の1になったけれど、いまも残っているが、伊勢御師は明治初年に途絶えた。いったい、神仏分離令は何を圧殺しようとしたのかがここからよく知られる。
一神教=ヤファエ YHWH という表現は明確に間違いですね
代表的な神ではあるけれども
元々YHWHはイスラム教で信仰される神様
そこから分かれたキリスト教、イスラム教はそのまま同じ神を信仰しているだけ
他にも中国の儒教などでの天帝、ヨーロッパのデオニソス、エジプトでのアテン信仰など一神教とその神は存在している
理由は分かってます。それは彼らが楽園を追われたから、ゆえに外から神を拝んでいる、だから一神教になるのです。日本人は未だ楽園にいるのです、だから敢えて拝む必要はない。ひとり人間天皇陛下がその中心で神(の場)に祈っている。そんな神国に宗教は必要ないのです。当然無神論なんて有ろう筈がない。
無宗教と言いつつ八百万の神信者です
いただきます、これだけでキリスト教とは一切相容れないからねぇ。恵みは主に感謝だけど日本は素材、生産者に感謝するから。
八百万の神々、なんて言葉が理解できるのが日本人の良さなんよ
政治と宗教の話はタブーなのは知ってたけど野球もなのか。
日本人で無宗教と言ってる人でも、初詣やお墓参りに行った事が無い人はまず居ないと思う。そういった行為を宗教的観点で見てないから自分は無宗教になる。
あと教義、戒律を知らないし守ってる自覚もないから無宗教になる。
廃仏毀釈で東白川村はほぼ仏教がないらしい。石像も割られた。北海道では仏教を守る為に本願寺道路を作らされたり。
石原莞爾はこんな発言して終戦時で現役だったら間違いなくA級戦犯(同じ思想を持つ佐藤賢了は終身刑)だが東條英機と不仲で予備役にされたので免れてる
四季の存在や動植物と地方の多様性から一柱の神の計画のもとに全てが動いていると言う考えは理解しにくいこと、血や死は穢れであってキリストの死と復活のイメージが悪い(仏教の転生または涅槃寂静の方がまだイメージは良い)こと、神道は江戸時代までは政治的にも(体制に取り込まれた仏教よりは)清潔で庶民の味方と見られており反体制派もキリスト教には期待は寄せなかったこと…。
ちなみに江戸時代後期には平田篤胤を筆頭にむしろキリスト教を肯定的に解釈して取り入れた神道家もおり、神道に教義的な側面を持たせたことで幕末の尊王攘夷思想に影響を与えてる。
スタートレック教を信じなさい!
魔理沙ダメダメ!霊夢にラマダーンなんか教えちゃ😓
あれは夜明け〜日没まで食事をしないだけで、日が落ちたらみんな何時もの食事量より多くの量食べるんだよ
ラマダーン開けには体重増加で苦しむ人が大量発生するんだよ〜😨モグモグ旨〜い🍗🥩🥞🍔🍙
そう日本は全てを受け入れる国 原爆すらね 世界の縮図でもあり、歴史でもあり、最先端でもある。しかしながら末法だねぇ 滅ばんようにな、内地の人間共よ
日本には信頼できる宗教家がいないと舛添要一さんは言ってた😮
日本では天地万物に神様がいる。八百万(やおよろず)の神だね。俺んちではトイレに神様がいる。そして居間には貧乏神も。この神様、出ていってほしいのだが、我が家は居心地が良いのか居間にデデーンと鎮座している。
秀吉がキリスト教を弾圧したのはキリシタンが日本の寺社仏閣を破壊したり、日本人を奴隷としてヨーロッパに売り飛ばしたりしたからでしょ。スペイン・ポルトガル人は侵略ツールとしてキリスト教を利用したのよね。
お寺でクリスマス会やってて、最初は何とも思わなかった。
日本人の大部分が宗教に恐怖心を抱いているなんてソース、あるんですか?
イスラム教・キリスト教・ユダヤ教の神様は、別々の神様ではありません。
宗教は定着しているぞ。日常生活レベルでな。
日本では原理主義が定着しないんだ。
十二単?天皇家?
ここやべぇ?
大震災の後に、神を信じないから天罰が下ったと言った奴が居たが、亡くなった方々の前でそんな事を言うなと激怒したな。