【視聴数 814667】
【チャンネル名 るーいのゆっくり科学】
【タグ ゆっくり解説,るーいのゆっくり科学,物理エンジン,科学,ゆっくり】
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テセウスの船と似た話でアメリカで核兵器(?)のパーツをどんどん補修的な形で変えてるっていう話があってなあと…
立場や環境の変化、年月を経たりすれば考え方は完全に変わるそれが同一人物かと聞かれれば難しい。
その考え方の変化についてこれず別れる恋人も多いだろうし少しの情だけで付き合い続ける関係もあるだろう。
ザ・フライのように完全に姿も振る舞いも変わってしまえば別人だろうね。
犯罪者に関しては同じ思考、同じ記憶を持ってるならば、治安維持のために何人でも裁くべき。悪貨は良貨を駆逐するからだ。
宝石の国もまさにこの考えが題材になっているので、改めて考え方や他のテセウスの船のパラドックスを見るとすごく深くて驚きです…!
この手の話、昔「哲学的な何か、あと科学とか」っていうサイトがあって同じ事話してましたね!ちょっと懐かしい
パワポケ10の継続性の話好きだった。
クローンの作り方にもよると思うんだよね。
体細胞のDNAを使って培養したクローンなら継続してないけど、脳の全部の細胞が分裂した結果クローンが生まれたのならそれは2人とも継続してる。どっちがオリジナルか判別できないからね。
自分は意識がそのまま引き継がれるならたとえ体がクローンだとしても同じ人間として考えるかな
この話、ボーダーランズに出てくる復活装置に似てるなぁ…
分かる人いるかな( ´・ω・`)
という事はルイージマンション2の転送は凄かったのかぁ、
このパラドクスの名前が「テセウスの船」ではなく「うなぎ屋のタレ」だったら絶対歴史の波に揉まれて消えてた
JR九州のSL(58654号機)もテセウスの船状態らしいね。
スワンプマンのお話は中学生の頃に答えも出ないまま真剣に考えすぎて色々怖くなった思い出の思考実験だなぁ…
亜人思い出したわ
automata
解説のように細かく分解しなくても、人間は代謝とかで入れ替わっている分子があるのだから、1秒前の自分と今の自分が同一人物だという確信はできないのではないだろうか?
僕らは前の人物の記憶や体を引き継いで思考の続きをしている生まれたばかりの他人であって、本質的には自我を初めて持った乳児と大差なく、ただ体の蓄積している情報のせいで誤認しているだけかもしれない
脳が完璧にコピーされてれば自分は自分かなって思う
自分の脳を完全にコンピューターにアップロードするのも似たようなもんだな。コンピューターの中の意識は確かに同一の記憶を持ってるけど、滅びた方の肉体側の意識は死んだらおしまいだと思う。自分のコピーと自分はやっぱ違うと思う。
その存在が連続的であるかどうかが重要な気がする
J・P・ホーガンの「火星の遺跡」って小説が同じような題材だった
量子テレポーテーションのことを言ってるなら量子状態のレベルで(原子の構造だけではなく、その原子の状態すらも同一)同じものを再現するものです。
意識や思考について、脳内の複雑な化学反応の結果と、その結果によってシナプスに微小な電流が流れ、それが新たなシナプスの形成やシナプスの状態を変えることによって意識や思考が生まれると思っています。
そして、それすらも量子テレポーテーションは再現可能なので同一自分になると僕は思っています。
ただこれを読んでわかるように量子テレポーテーションにおける情報の最小単位が原子サイズ(しかも原子はいくつもの量子状態を持つ)なので、それが複雑に相互作用している人間を情報化するのはほぼ不可能とされています。
(ただごく僅かな量子情報をテレポートすることに実験的に成功しているのは事実です。)
心と経験の蓄積が同一性の証明ならば
アルツハイマーや認知症を患った人は
その人ではない他人という事になる。
他にも記憶を失わなくても
感情の起伏が激しい人がその感情を抑える
薬を投与され落ち着いた人になった。
その場合はその人は本来の自分の感情である
心を失っているその人はその人と言えるのだろうか?
自分が自分であるって実はすごく曖昧な事で
自意識と言うものも考え方で変わっていってる。
キリスト教では洗礼を受けた人は 生まれ変わっていると言う考え方をする。
つまり洗礼を受けた人は死んでもう一度
蘇ったと考えるわけだ。
こう言った考えももし自意識の同一性が
存続してるとしても精神的な死をその人が
受け入れた結果、違う自分に生まれ
変わったとそう解釈することは間違い
とも言い切れない。