【視聴数 3141】
【チャンネル名 岡田斗司夫ゼミナール【オタキング 切り抜き】】
【タグ 岡田斗司夫,切り抜き,オタキング,サイコパス,教養,ゼミ,哲学,入門,世界,ジャンル,映画,音楽,同人誌,悩み,ありえない,倫理,学問,知識】
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数学書
言語
哲学を使いこなすには非数学的な抽象概念がすこしはわからないといけない。
化学学ぶのに簡単な計算ができないといけないようなもんだ。
Dr.STONEみたいに必要な物質を指でつまんで、「プラチナを少々」って料理みたいに入れるわけにはいかない。
Dr.STONEでは最初は手で入れてたんだ。
いつのまにか丸底フラスコがでてきてるんだけどw
手で入れるには、実際の必要量は少なすぎる。
化学で必要分量ぴったりにするに必要なのは計算と物質の抽出の道具だ。
科学で計算と道具がいるように、哲学は数学とは関係ない抽象概念、善悪ですら、ある程度は予想できなければいけない。
殺人がほぼ完全な悪であるというように。
実は殺人は本当に純粋な悪ではないんだ。
だが、人の命を軽くみて自分の利益を追求する人が、他人を死なせてまで得をしようとしたとしよう。
おそらく、どんな理由があっても殺人は全部悪なんだ。
殺人が本当に純粋な悪じゃないという可能性が出てくるのは、犯罪の外にある気がするんだ。
その理由で考えられるのが、動物は憎くて殺さないし、人の命よりも金が大事だから金儲け活動のついでに人が死んでもいいだろうとは考えないんだ。
動物は、生きるのに必要で、悪いと思って殺していないんだ。
捕食しているからね。
ちょっとでも悪いと思ったら生きていけないが、人間が殺してもいいだろうと考える場合とは何かが違うよね。
善悪を忘れてもたぶん、人間が人間を殺すことはいちおう悪なんだ。
悪じゃない要素はこの中にはほとんど含まれない。
おそらく、人間は殺すしかないわけではない種族の中に生まれていて、
動物は殺すしかない種族に生まれている。
もうちょっと殺すことを追求すると、動物が殺すことは純粋な善かというとあやしいが、
人間が純粋な悪かというとあやしいほどではない。
たとえば、もしか神がいたらどうするかを思考実験するとわかる。
動物が純粋に殺して全く悪くないままで神は放っておくかというと、いずれは動物が、必要ない殺生で死ぬことだけはなくなるように時代を進めるだろう。
必要があって殺す場合はかなりゆるされる。
人間が毛皮をファッションのために得たいから殺すとなると必要ない殺生だ。
たとえば、人間がここで生きるしかないが、クマを食べなければ生きていけない。
これは実はかなり許される。
人間にはそれを申し訳なく思う知恵があり、このままでいいとは思わない哲学的精神が備わっている。
だけど、フィンランド、スウェーデンの深い森などに生きていると、ここでいきるしかない。
太古から我々はクマを食べて生きてきた、これしか生き方を知らないんだ。
こうなると、神なら、クマを殺して食べるのは本当はダメなんだけど、いいとするんだ。
いずれは、何かあれば、殺さなくてよくなる可能性は残っているよね。
可能性の段階なので、とりあえずはクマを殺したことでは神は裁くことはないだろう。
食べるしかないから。
人間は、変に知恵があるため、このままではよくないと思っている。
だから、感謝の儀式が大掛かりになるというわけだ。
そこまでしないと申し訳ない。
申し訳ないという気持ちは、ちょっと心を傷つけな寝ない思考だから
神としては永遠に放置していいはずがないので、いずれはそう思わなくていい世の中を予定ているかもしれないわけだ。
このように、ちょっと非現実的かもしれないが、思考実験をかなり自由にしてみると、殺してはいけないのがなぜか、金儲けのために人が死んでなぜいけないのか、ヒントくらいは得られるだろう。
これで、殺すのがいいか悪いか、なんとなくイメージがわいたかな。
こういうことを少しは考えて、とりあえずは心配を忘れたい。
たまにどっちかな、って悩んで、まあこう考えておけばいいか、と思う。
考えては、忘れて、考えては、忘れるというのが哲学だ。
カントの哲学用語何て普段はあまり必要ない。
こういう問題を考えていればすでに哲学みたいなもんだ。
おそらく、哲学書を何冊読んでも結論はでない。
「ソフィーの世界」全部は読まなかったが、その理由は、全ての問題が全く解決していないのが辛くなって読むのをやめたんだ。
ソフィーに話す老人が一つも解決していないのを何もかもわかっているかのようにドヤ顔していたのが辛かった。
哲学とは最終結論何て出ない学問だ。
何かが足りなくて、永遠に結論は出ないだろう。
結局、見えなければすべてお手上げの科学と似たようなもんだ。
考えているようで、考えていないから、答えを求める。
本当に考えることを愛する人は、結論何てでなくてもよい。
ただ考えていたいだけである。
負担が大きい「考える」ということをずっとやっていたいと望むのが、一番すごいことだと思う。
普通の人は楽をしたいと思い、考えない工夫をするものだ。
だから効率化できなければ排除する。
神を持ち出すこと自体を無条件にナンセンスと考える人は
一部を排除して、情報の一部を捨てて考えたところで、現実の何が分かるのかね?
神がいるかどうかなんてどうでもいいんだ。
神がいるかいないか、信じるか信じないかを気にする人はまったく考えちゃいないのさ。
ただ考えるのが好きな人がいるのと同じく
ただ否定したいだけの人が、考えずに否定だけするのさ。