【視聴数 37427】
【チャンネル名 おかだぬき夫の超解説【岡田斗司夫切り抜き】】
【タグ 岡田斗司夫,切り抜き,ひろゆき】
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私もマリオの映画を観ました。動画でもあった通り最初から最後まで楽しい内容でした。ただ私が映画の中で一番感心したのはマリオの(諦めの悪い)という設定です。これはマリオシリーズを遊んでいる人が、何度もゲームオーバーになりながらもクリアするまで諦めずに挑戦していた姿を映画の中で再現したのではないかと思いました。つまり映画のマリオはゲームのマリオを遊んでいる自分たちそのものと、捉えることができる素晴らしい作品だと思いました。長文失礼しました。
私もマリオ映画見ました。
最後まで飽きない神映画でしたね。
クッパの歌や、bgmもしっかりアレンジしてあって、うれしかったですね。
他には、「兄弟愛」が感じられ、ほろっと来ました。
ぜひ、続編をだしてほしいですね。
評論家はその前に「有識者」って専門家として足場を有してる人たちで、専門屋とは知識を武器とする人たちです
※もうすぐ知識量をわかりやすく説明するだけならば、量ではGoogleに負けてるし質でももうすぐGPTを代表とするAIに取って代わられるでしょう
知識を有する専門家が自分の世界観をハメて「写し鏡」として語れる人たちを本来の「評論家」だと思っています
評論家が作品を見て写し鏡として作品を語るならば作家は作品を自分の志の発言場所として作り込みます(よくある「作者は何を語りたかったのか?」ってやつです
純粋な娯楽作品が評論家にウケが良く無いのは(褒め言葉で)「志しが低い」からです。 語ることが無いですからね
この辺が評価が分かれる原因だと思います
評論家てものづくりしてないしな
ロバの映画はイーヨーじゃなく
EO イーオー
KOYAANISQATSIを褒めた評論家は映画の背景を知ってから評したか、映画途中「あっ、この映画の鑑賞しかたわかった」と思ってから評したでしょう。しかし今回、映画でありながらも観客が今までマリオのゲームで楽しんできた歴史が認識されてから作られた映画である事は大半の評論家が認める背景に含まれてないと思います。客観的に映画を評すると言っても、アートといった主観的に価値があると決めた背景でしか鑑賞しかたを調整しないでしょうか。
古典的評論家がまだまだ大多数
”楽しいは、評論家のロジックで言葉にならない”という事か。まぁなるほどと。でも、私がそれ以上に感じたのは、評論家の多くはマリオシリーズを楽しんだ事がない人達だろうと。流行りでスーパーマリオ1をやった程度では、ハマったとは言えない。マリオ3やN64の3Dマリオ、まぁ他でも良いけど、2Dと3Dマリオを数本楽しんだ者ならば、OK.な映画だと思います。
英語圏でマリオを語るYoutuber達がよく使っている言葉が”Easter egg”。これは隠れキャラや隠しメッセージの事です。プレイしていた人間でないとわからない小ネタが散りばめられているのがマリオブラザーズの映画で、マリオをそんなにプレイしていない評論家にとってはわからないのです。
その意味ではマリオは評論家にとって辛い映画で、ストーリーも平坦で主人公に深みが無い(そもそも視聴者は求めていない)から、彼らにとって切り口が無い上に知識量では絶対に往年のプレイヤーに負けているので「語れない」のですよね。
映画知識しかない自称評論家が多いだけだと思いますよ。多方面の知識を持ってないから知らない事を評価する能力が無い可哀想な人達だから。
わざと中2くせー質問にしてんのかな。
あの映画を「映画」として評論するのが仕事の人に見せたら、そりゃああいう評価になると思う。
たしかにストーリーラインはありきたりで何の深みも無い。
同じ子供向けの映画でもトイストーリー3とかと比べれば一目瞭然だと思う。
あれはあくまでマリオだからいいのであって、小説の評論家にマンガ見せるようなもんで、そもそもカテゴリが違う。
映画はエンタメ、楽しめた方がいいや。評論家の意見なんか聞かないわ。
マリオを語るってアホか?が答えでしょうな。
敵がカメで空中にブロックが浮いてる世界で飛び跳ねて、死んでも死なない。
言葉にすると抽象芸術。
映画評論家が危機感を持つべきは、こんな映画が大ヒットするくらい映像体験を映画・ドラマのように単に眺めるだけのものから、積極的に操作するものにシフトした人々が世界中で増えている現実です。
子供向けと切って捨てると、日本の芸能界と同じ轍を踏む事になる。
マリオ映画を低評価する批評家の真意は嫉妬だよ。ポリコレ押しする評論家が、自分たちの基準に合わない映画を高い評価するワケない、でも一般人は楽しい映画を見て満足する。その結果が今の売り上げに出てるだけ。大成功して映画会社も観客も満足してるんだから、外野の騒音なんて無視すればいいんだおw
面白いの定義は広いし人それぞれだからね。確かに意外性や伏線含めてよくできているものは勿論そうだけど、マリオは単純に楽しさを追求し、わかりやすい王道ストーリーながら細部もこだわりを感じ、ゲームしているような感覚も含めて、今までなかったようなとても面白い映画だと思いました。
映画評論家は、映画自体を文学作品のような高尚なものにしたい目的があり、それによって自分たちを高尚な文化人にしたい意図があるといえる。
しかし映画は本質はエンタメ、娯楽であるから、一般の観客はおもしろい、楽しい映画を求めている。
一方で制作者側は、自分たちを高尚な文化人になろうと、評論家向けの映画へと傾倒しつつある。これが続けば映画はハリウッドも含め滅びるだろう。
マリオの評論が難しいのは、小説評論してる人に漫画の評論してくれって頼んでるから
そもそもジャンルが違う
楽しかった、つまらなかった、両者共素直に言える雰囲気があるといいですね。
わりと昔に聞いて、いまでもこういうのがある度に思い出すのは「評論というのは作者の意図とそれが実現できているかを中心に展開されなければならない」って評論/レビューの基礎論ですかね。むかしだと政治的右左で突然「この映画には〜が描かれていない」だの「〜が肯定されている」だのって、作者がそこは1ミリも中心に持ってきてないことを評論家がなぜか「自分の思想と違う!」って怒り出すというのがありました。いまのアメリカだと対象は人種の扱いとかLGBTQとかですかね。
いや、実際のところ本当にそんな「作者が主に描こうとした内容と関係ないこと」を言われてもなにひとつ作品自体の評論/レビューなどにはなっていないわけで。
そのあたりの”基礎”を履き違えてるのはアマゾンなどの素人レビューのみならず、”プロ”の評論家でもわり周期的にみかけます。
何より子供(5歳)が楽しんで観ておりました。
諦めの悪さの部分は、教育的観点においても学びがあるように感じ息子にも響いてくれればありがたいと感じました。