【視聴数 144789】
【チャンネル名 としお話【岡田斗司夫切り抜き】】
【タグ 岡田斗司夫,切り抜き,オタキング,解説,考察,アメリカ,銃規制,銃社会,銃,USA,日本,SNS,武器,自殺】
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黒人の大統領が泣きながら演説しても銃規制は1ミリも進まなかった訳だが
自分はアメリカ生まれで子供時代はアメリカで育ちました。友達の家に遊びに行くと親が銃を持ってるうちもありました。しかし、銃規制をしない事に言い訳等出来ないと思います。幾ら億単位の銃器があろうと、明日から銃規制を始めるべきなのです。
学校や街中での乱射事件を減らしたい・無くしたいと本気で思っていないんです。
歴史や自衛思想など身勝手な言い訳です。これは、自分達が一時的に危険な状態に耐えてでも、子供達や後世に銃の少ない社会をもたらしたいのかどうか?なのです。
当然、時間はかかりますよね。ただ明日から日本並みの規制を始めれば、10年後には目に見える明らかな効果が実を結びますよね。確実に減って行きます。20年経てば相当な違いが出るでしょう。それまでの期間、丸腰でいたくない、というだけなのです。
アメリカ人はよく「子供の権利が云々」とモラルや思いやりがある様なセリフを吐きますが、この状況をみればいかに身勝手で、子供達や次世代の事など二の次なのかを表しています。
憲法だの権利だのじゃなくて銃を持つってのがアイディンティとかナショナリズムの一部になってんでしょ。
40年前、ツーソンで中学生ぐらいの少年がライフルを撃っていたので驚いた。大好きなアメリカの、大嫌いな恥部。大統領まで暗殺されてるのに!思えば家の周りに塀の無い家が多かったなあ!
正しいね
国によって事情はあるからなあ。アメリカ並みに治安が悪くなったら日本や外国だって武装したがる人は絶対にいるよ
動画で岡田氏は日本は自〇社会だけどSNSを禁止しないって例を出してるが、アメリカの自〇率は日本を超えてるよ
SNSでも日本みたいに誹謗中傷が溢れてる。これは世界中の現象。まあ言ってる事は分かるけどね
しかも銃よりもドラッグの過剰摂取の犠牲者の方が何倍も多いが、何故かあまり批判されないし合法化の流れができている
アメリカはヨーロッパの国家や宗教から抑圧されたと感じた人たちが作った国だし、植民地時代も酷い目にあってる
だから基本的に政府を信頼していない。アメリカのネットを見ると自国の政府をぼろかすに貶すのよね
それと同時に、愛国心がかなりある。国旗がいたるところにある
核抑止論と同じですよね。他者を尊重するとか、目の前の暴力を御して言える自分になってみたいものです。
数年前北海道で無謀運転で痛ましい事故があったとき、被害側が車に5人乗ってたから、被害者側も悪いとネットで叩かれていてすごく嫌な気持ちになった、
ボーリング・フォー・コロンバイン を思い出しました
日本社会の誹謗中傷だけが抜き出されて、じゃあアメリカのSNSには誹謗中傷は無いのか?と一瞬思ったが、銃社会が故に、言われた側が銃で反抗できるから、結局銃社会の話に落とし込めちゃうんだな。
アメリカ社会における銃ってのは「合衆国政府があんまなめたマネしてると俺ら市民にだって考えがあるぞ」っていう、アメリカ国民から合衆国政府への、悪政や腐敗を抑止するための、ある種の脅迫めいた釘刺し的な側面もあるんだと思う。
そんなアメリカ社会とは真逆とも言える日本社会でついこの間あんな事件が起きてしまったというのは、何とも皮肉な話。
日本とアメリカの暴力装置の持ち方は国民性が表れていると感じる。
欧米では支配者と被支配者しかなく、支配者が支配地域の土地、人間ですら所有物という考えであったからアメリカのような考えが生まれたが、日本は天皇、国の政治を任させる組織(政府)、国民と三つに別れ、頂点に天皇がいても権威はあるが(一部に例外はあるが殆どの期間は)実権を持たず、政府は権力は持つが政府は天皇が承認するから権力を持てるだけで、おかしくなればいつでもすげ替えられる存在、更に(近年変わりつつあるがこれまでは)日本で権力を得ると私欲よりも公の為に仕事をするものという意思を持ち、江戸時代に殿様が私利私欲で動けば考えを変えるまで座敷牢に入れられ、それでも政府がおかしくなれば平時は武力を持たない国民が蜂起して政府を変えてきた歴史があるから現在のような状態にあると思う。
アメリカの銃乱射事件のニュースをみるたびに、連射できるマシンガンが何で護身のために必要なん?と思います。拳銃で充分。
結局、アメリカ連邦準備制度理事会のごとく、実質的にイギリスによるアメリカ支配が今だに続いてるので、そうした事も、武装市民思想を根付かせているのかもしれません。
市民の武装については、一長一短があると思うので、いちがいにどちらが正しいなどとは言えませんが、だからといって、羊のような社畜が大量生産された社会で、一部上場と言われる企業の株式や、金融機関、年金基金の資金運用、ことごとく外資に食い荒らされ、搾取されている間抜けな日本社会もいかがなものか?と疑問を感じずにはいられません。
ウチのオバーちゃんピストル🔫欲しがってたよ。
こちらの発言についての問題はもっと深いです。どうやってストレス発散したらいいんだどころか、国家が必要悪だとして維持している残虐性などを担う人的資源が育つ環境自体が過激な発言などを考慮せざる負えない文化圏でしか成立しえないのであり、ストレスの発散どころか日常なわけですので、非日常に対して規制を掛けるということは、人類がこれまでも、そしてこれからも、様々な痛みを排除していく過程の中で行われる必然であり、少しづつ日常が多様性を失っていく可能性が懸念される問題ですが、日常に対して規制を掛けていくという問題は、まさに人間性への挑戦であり、神への冒涜と同じものであるということなのです。もしこの日常に対して規制を掛けることを正当化してしまうのであれば、もはやそこに人間は必要なく、まさに聖書に出てくる主の世界、独裁者と好みの動物を知的にし僕としたような世界観が生まれ、人間性や知性の根源は失われ、ユバルノアハラリが警笛を鳴らした個々人の存在意義の喪失どころか、種として或いは生命としての存在意義の喪失が発生し、資本主義の維持どころか、文明の維持そのものに価値を見出せなくなる時代が訪れると断定ができるわけなのです。ですのでできることは、貧困をなくし、日常のクオリティのベースアップを図り、過激な発言が日常でない環境でありながら、正義感によって残虐性などを担う人的資源が育つ環境にする必要があるわけなのです。これによって悪なる必要悪の拡大は起こりにくく、悪なる必要悪の必要性がなくなる本当の必要悪、善なる必要悪を認識することができるはずなのです。
内乱でもおきて
ひどい目にあったら銃規制も考えるかも。数100年後かな??
何事も表と裏の面がある。バランスが大事ですね。