【視聴数 493023】
【チャンネル名 岡田斗司夫ゼミナール【オタキング 切り抜き】】
【タグ 岡田斗司夫,切り抜き,オタキング,サイコパス,ゼミ,戦後,終戦,戦争,第二次世界大戦,記念日,物乞い,天王寺,昭和,罪悪感,デパート,レストラン,被害者,繁栄,謳歌,原爆,原子爆弾,広島,長崎,太平洋戦争,ナチス,日本,ロシア,ウクライナ,プーチン,教養,真珠湾攻撃】
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【視聴数 493023】
【チャンネル名 岡田斗司夫ゼミナール【オタキング 切り抜き】】
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阿倍野近鉄百貨店と天王寺ステーションビルにつながった陸橋の上で傷痍軍人さんが、白い着物を着て座って物乞いされてましたね。
その後いつの間にか見かけなくなりましたが、軍人手当で生活出来るようになったのかな?と勝手な理解しましたが、哀しい姿でした。
昭和38年生まれです。天王寺や京橋にはそう言う方たちがいましたね。
昭和42年生まれです。東海道本線沿線の大きめの駅でも70年代中頃まで見ましたね。同じように「見るんじゃない」と言われて通り過ぎました。
27年大阪生まれですが、昭和30年代初め 市場近くでよく見ました。
父親から傷痍軍人は国から手厚く恩給等が支給されたと、聞いていますので全員では無いが、何らかの事故で手足を失った人もいると思います。
父親も戦地から帰国後、軍隊時代の給与について一時金にするか、年金(恩給)にするかと聞かれたそうです。
1990年代前半ぐらいまでは、どこ地域の祭でも、そういう物乞い数人でやってたよね。
天王寺ステーションビルは懐かしいですね!
自分が(70歳)中学生時代にアーケードの通りで傷痍軍人の2人組
1人はアコーディオンで物哀しげな曲を。
後に雑誌で本物ではない人が戦後 怪我をした方がいる。と
何れにしろ本当に悲惨な姿でした。
1960年生まれですが、確か私が10歳の頃までは、市内の駅やバス・ステーションにそのような方がいたように記憶しています。
なにげに学生運動が活発化しだす1970年頃までいたんじゃないかなぁ。
まぁ、半分以上は健常者による偽装なんですけどね
戦争後は、そのような方をよく見かけました。アコーディオンを弾きながら、異国の丘とか戦歌を歌って駅前に居ましたね。母からは、あの方達は国からきちんとお金を戴いて生活出来ているのだから大丈夫。お金を施すのは自分で判断しなさいと。ちなみに父は海軍で敵国から爆撃を受け全身1/3以上の傷を受けてました。真夏でも長袖で背中はひきつれてました。顔だけは俳優なみの男前で残ってラッキーと本人はいってましたよ。父が戦後を生き抜く根底にあったのは、毎日のように火傷でくっついた指をナイフで削いで血だらけになりながら手当てしてくれた軍医さんに対する思いであった。泣き叫ぶ父を指が動くように一緒に泣きながら手当てして下さったそうです。父は戦後スポーツ選手になり私達一家や親戚を養い、戦争をバネに生き抜いたと考えます。戦後の日本の反映の中に育った私は、周りの人の生きざまを見て戦争の悲惨さに祈るしかできません。父は最後まで国に傷病手当てを請求しませんでした。その代わり国に頼らず残った体を使う生き方を選んだ精神こそ日本男子と私は尊敬致します。
私は、東京浅草で、そんな方よく見ました。
34年生まれです
すげーな。傷痍軍人をネタにして食い扶持をえる人の話はビックリ!!『見ちゃいけません!』っていう親は真実を知っていたのだろうか
上野界隈にも道路には傷痍軍人やコジキと呼ばれていた人、駅には靴磨きの方々がいっぱい居ましたね。失われつつある泥臭さ大切だと思います。
42年生まれですが初めて見た時は怖かった。母に「大丈夫、あの人達は国から沢山お金貰ってるから」繋いだ手を少し強めに引かれました
(。•̀ᴗ-)✧
他のコメントにもあるけど・・
『戦傷者』っての年金だけでも『年収500万オーバー』
ちなみにこれは【最下層の人。】
(。•̀ᴗ-)✧
じゃ、これに位が上になると金額が分かりやすく上がります。
あっ!
『怪我もしてないのに裕福な暮らしをしてる。』
ってのは『それなりの地位だった』と思われる。
まぁ、投資とか遺産相続で・・・
ってのもあるので断言は出来ない。
(ノ◕ヮ◕)ノ*.✧
上から数えたが早い人が親族に【居た。】
『遺族年金』とかやけど・・・
(*´ω`*)
月で【1000万円】くらいだそうです。
ちなみに『非課税』
(*´ω`*)
戦傷者は減ってるから『財源は余る』はずなんだが、不思議な事に財源は増えてます。
(。•̀ᴗ-)✧
『財源』→税金
所謂団塊Jr世代ですが、小さい頃はたまに見かけましたね。広場、公園etc.
あげたこともあります。
親父は戦争で指なかったです。
傷痍軍人っていうのですがそいいう場面を見ると必ず話ししてました。
全部偽物で本物の傷痍軍人はいなかったそうです。
年齢聞いたら、開戦の年代と合わなかったりしたらしいねw
私も33年生まれで、ほぼ同じ経験をしました。
超貧乏&身体が小さすぎて少年兵になれなかった父は、アイツラは恩給を貰っているんだから放っておけ! と冷たく言い放った事にずっと違和感を持ってました。
よしりんの戦争論を始めとする、近代史に関心を抱くようになった原点かもしれないです。
小学生の頃(今から50年くらい前)、千葉に住む親戚のおばさんの家に正月に行った時に、初詣で何故か神奈川県川崎市の川崎大師に出かけました。
その大師の眼の前の路上で、傷痍軍人と呼ばれる人が二人、地べたで物乞いをしてました。
そのちょっと異様な光景を見て、チラチラ物乞いを覗いたら、おばさんや親に見るんじゃ無い!とどやされた覚えがあります。
50年以上前には、そんな光景が普通に見られたですね。