【視聴数 62409】
【チャンネル名 ゲンロン YouTube Official】
【タグ 動画,ビデオ,共有,カメラ付き携帯電話,動画機能付き携帯電話,無料,アップロード,チャンネル,コミュニティ,YouTube,ユーチューブ】
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論壇が成立してたのは、時代や社会そのものが単純だっただけでしょう。社会科学が細分化されて、知の分業が凄まじく進化してるのを、総合的に分析できるだけの人が居ないしね。ハラリのサピエンス全史でももう古いし、人新世の資本論みたいなアナクロでも受けてるし、今は宮台さんとひろゆきが頑張ってる。どちらも幅広さと総合知が受けてるよね
つまり20世紀のパリやフランクフルト、21世紀のカリフォルニアやスタンフォードやイェールやハーバードとの、アジアのローカル都市、東京の格差を克服しないと未来は無いよね。
議事メモをまとめて公開してほしい。
言論・論壇 って英語だと critique? speech? 日本語の論壇みたいな言説が衰退しているのって日本だけなんですかね?
東さんが冒頭で論壇の出版的な市場規模と日本の大学の改革について言及されていたが、これ、日本に特別な事情とは思えない。
全国家レベルで影響力がある論壇の衰退は世界的潮流なんじゃないかな?
(詳しい人がいらっしゃったら、反駁お願いします)
言論・論壇が衰退しているのって、
宗教が科学に侵食された、英語の一人勝ち(グローバル化)、知の分業・専門と一般人の分離が極限まで進んでいる
ことの副産物と思う。
[宗教 –> 科学]
例えば哲学分野でいうと、
ヨーロッパ大陸系の批評っぽいのは、一応なんとか生き残っているって言えるのかもしれないが、
個人的好みでは、
英米系の科学哲学とか、心の哲学とかの応用哲学みたいに、科学的(っぽい)アプローチ・学術専門ジャーナルで地道に積み上げられている知のピラミッドだけが将来的に生き残る って思っているし、そういう方向の文献をほぼ英語のみ(ごく一部、書籍は日本語翻訳)で読んでいる。
[文芸誌 –> 専門誌とアウトリーチ]
少なくとも、自然科学だと、
いわゆる科学者と呼ばれる専門家が数式、プログラムや化学式などを駆使して、一般人が全くわからない専門性を駆使して研究が行われて、専門用語だらけの専門ジャーナルで最先端の研究成果がコミュニケートされる現状にケチをつける人はあまりいないと思う。
科学の応用も、非常に高度な専門性を備えたエンジニアが工業製品などに科学の知を応用してくれれば十分。
一般人が科学に直接接するのは、いわゆる outreach 、啓蒙活動による。
これに対して、従来型の一般向けの出版に頼る論壇っていうのは、最初から一般人相手に知の発表を行ってきた っていうことから、扱えるテーマが自ずから専門科学で扱わないニッチなものとならざるを得ないと思うのだが、違います?
専門知と対比した総合知っていうのが論壇のアピールポイントなのかな?でも、個人的には、 T型というか、少なくとも1つなんらかの近代科学の専門性を深く身に着けた人でないと、総合知を適切に語る能力が担保されないっていう気がしてしまうんだが、どうなんだろ?
ってわけで、私の知識の範囲では、英語の骨太の本で好きなタイプとしては、
超一流学者が自らの専門知識を駆使して世界を眺めてみた(普段の専門よりは、野心的なテーマや日常的なテーマに取り組んでみる) っていう系統のもの。
例えば、
Ramachandran “Tell tale brain” とか、
Nurse, P. “What is life?” とかね。
しばしば、学派をプロモートする目的で執筆されることもある。
こういうのを上回る、日本語の論壇っていう用語から連想される純然たる総合知的な書物はぱっとは思い浮かばない。
もったいない。東の頭があれば社会を動かせるよ。
日本で言論が栄えてた時期っていつですか?
クレジットカード会社が、シラスを拒否している。
昨夜も拒否、
今日も拒否、
カード会社への連絡は17時まで。
仕事してると土日まで無理。
東。話長い。 まとめてー。
昔東浩紀vsひろゆきで、哲学とは必要か、面白いかのディベートで、東さんが揚げ足をとるひろゆきを論理で哲学は必要だ、に持ってった討論を思い出した✨私的には言論の衰退は、若者の言語やメディアに対する理解力の低下が招いた結果だとおもうけど。余り思考したりするメディアは好まない、東さん以降の世代の流れではないですか?うーん😔一言では片付けられない感じ。
AIが発展して反射で生きていける世の中で猫でも政治家できるのでは、と言ってる人がこれから言論に期待していることなど無いと思いますが、、この対談は最後まで見たい!
東さん、本いくつか読みました
非常にリアルな未来に共感したのを思い出します
本編面白かった〜!
ここ10年は、触れる情報の量が増えすぎて
咀嚼や共感、ぶつかる余力が減ったんじゃないかなー
キタ――(゚∀゚)――!!
これは熱い
成田氏は、父様が言論人(批評家?)志望だったとのことで、批評界隈には愛憎入り混じった思い入れがありそう
そりゃ、言論で飯食えないですからね。ほとんどの人は自分の生活で一杯一杯で、言論?笑というレベル。言論で変わってしまう世の中のがダメなような
ウェブ上で自分の好きなコンテンツのみを好きなだけ楽しめるようになったからではないでしょうか?
考えるための材料(燃料)が極端に減った結果,思考することが難しくなっているのではないかと思います。
また,動画コンテンツの普及によって,言語そのものに接する機会自体も減ってしまった結果,言葉に鈍感になっているのかなとも思います。
①知識の隔たり(ネットに本来期待する役割とは真逆に作用している)
②言語に対する鈍感さ
がその理由だと思ってます。
成田ファンは本編も課金してみた方がいい。「ひろゆきはラッパー」というパンチラインがしびれる。
なんで、三浦瑠璃さんいないんですか~ヽ(;▽;)ノ 次は期待してます。
もはや、みんな、今の言論に、統一的な納得の行く社会問題への共感を促したり、聞き手の集団的な一体感を促したり、社会への無力感の打破を促すような役割、共同体の価値観の創造の可能性を、認めても、求めてもいないのかもしれない。そもそもそれらを自己に取り入れて、自分の行動を善きものに変えて、周囲も変えていく可能性があることも、信じてすらいないのかも。
いまや言論は、ただの娯楽あるいは合理的知識を得るための媒介に過ぎないような位置付けであり、こういった解釈が、さらに言論をただの消費物足らしめているのではなかろうか?こういった言論の受け止め方は、昨今のインテリぶった発信者からの、ビジネス臭や忖度臭、社会階級的分断臭、自己陶酔的な知識の御披露目臭が酷いのも原因なのかもしれない。彼彼女らからは、一様に人類愛のようなモノを感じないし、あまり信用というか、せいぜい局所的な理解は及んでも、世界観の共感が困難なことが多い気がしてならない。
彼らの言論そのものが、プラットホームをぶち壊そうとしていて、言論の善き力を信ずるに足らなくしているのではないだろうか?
昔から政治にまで、言論は力がそれほど及んではいなかったのかもしれないし、アナログ的な実生活では言論以前の様々なプラットホームが均質的で社会道徳めいた言論が共感浸透しやすい素地があったというのもあるのかもしれないが。
キーワードは信ずるということにあるような気がする。