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【チャンネル名 岡田斗司夫セミナー【岡田斗司夫 切り抜き】】
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加害者側の武勇伝だけで語られる明治維新以後の社会。
被害者側だけの意見を正史にしている昭和以降の歴史観。
近代史はまともじゃない。
2022年で終戦から77年。今もあの戦争を「語り継ぐ」教育がされている。それを批判するわけでは無いけど、例えば今の中学生に「77年前の戦争を語る」ことはナンセンスな感もある。実際、終戦時に中学生だった「語り部」たちの77年前の戦争と言えば、戊辰戦争や西南戦争。
B29がサイパンから飛んできて爆弾や焼夷弾で都市を火の海にし、核爆弾まで使われた時代の自分たちに、大砲の他は刀で斬り合っていた時代の戦争の話をされたら、シラケてしまわないか考えないのだろうか?という疑問がわく。
戦争を語り継ぐことは大切だが、時代とともに国際情勢も変われば戦争もアップデートされていることを考慮に入れずに戦争教育をするのはいかがかと思う。
戦争は経済抜きには考えられないのに、なぜか歴史と経済は別々に習うんですね。しかも、精神論ばかり語られるから歴史にはうんざりしてしまう。生糸で軍艦を買った全盛期の日本、からの石油機械文明の到来。石油の沸かない日本没落。「え、石油売ってくれないの?真珠湾攻撃」みたいなダイナミックなものの見方をできればいいのに。明治期が面白いのは経済が劇的に変わったからですね。イザベラバードと旅する日本、とか。イザベラバードが特に着眼していたのは地域の産業と経済状況です。どの村に行っても養蚕は常にチェックしてましたね。日本は生糸生産で外貨を稼いでたのです。その養蚕はなんと農家のおかみさんによって支えられていました。それは、時代と共に家内生手工業から工場労働者へと移行していきます。現代社会だときっちり労働者は労働者ですが、昔は家の中の仕事が非常にたくさんあったんですね。人の生活を支えるのは産業です。萌キャラがいきなりタイムスリップさせられてそこで生活するために頑張る話を作ったら入りやすそうです。何年何月、誰それが、みたいな歴史上の事件なんてぶっちゃけどうでも良くて、どんな食べ物があるの?どんな仕事があるの?みたいな部分の方が、実感が湧いてとっつきやすいです。
面白いは正義。
-艦これ 旧帝国海軍艦に全く興味の無かった友人が、いつの間にか俺よりも詳しくなってた…
-ウマ娘 今まで競馬に全く興味の(ry、いつの間にか馬好きの友人と同じ位詳しくなってた…
真面目にすげーな…と思ったよ。
地方の大名の武田信玄や上杉謙信、大部隊でもない白虎隊の知名度見りゃあねえ
まだ70年代(80年代初め)までほうが戦争や軍隊をネタにして面白がってたよなあ
あの戦争を忘れてはいけないと言う教育はあるけど、どんな流れで戦争に突入したのか考える教育はしてないので何度でも戦争級の人災は起こるはなぁ~
確かに朝ドラで昭和の話ってクソつまらないってずっと思ってるんだけど俺だけじゃないんだ。大河ドラマで俺好きだったの平清盛なんだよね。
第二次世界大戦のオープンワールドゲームが出来たら
多分、みんなやってくれるでしょ。
戦国時代~幕末・明治時代が流行ったのも
戦国大名・新選組・漫画・アニメ、があったからだし?
まぁ、BSARA以上はやり過ぎだけれど
ゲーム作るんなら
ゲーム中に史実紹介の読み物コーナー作っておけばえぇやろ。
語り部とかいう人の主観は悲惨だからやめましょう
バイクの三ない運動も事故で死んだら嫌だから乗らせない
要するに自分や身内がひどい目にあったという話ばかり。
しかしバイクに乗る青春てのもあるわけで
戦争に関わる青春もあったはず。
そこには涙も笑いも不条理もありきで平和な今とも変わらないものがある
実際学生の頃も戦闘機や兵器を面白そうに調べる戦闘機オタクや軍艦オタクは第二次世界大戦、太平洋戦争の知識もずば抜けてたなあ、あそこら辺の時代は戦国時代と同じ過去の事なのに少しでも間違った知識を披露すると叩かれる。そういう環境になると誰も触れたくなくなるのは当然。
そもそも負け戦だからねえ。臭いものには蓋文化だからしようがないね
茶化した瞬間、当事者でもない謎の輩が発狂しながら抗議してくるのが目に浮かぶ
淡々と事実関係や歴史のメカニズム的な部分だけを教えればいいのに、本来なら個人に任されるべき「どう感じ、どのような結論を下すか」って部分に強引に干渉しようとするから、おかしなことになるんだよな。そんなんだから、今起こっている現実の戦争に対して「一日も早く平和を取り戻して欲しいですね」なんてクソの役にも立たないコメントしか吐け馬鹿を生み出してしまう。
私の祖父は満州事変から日中戦争まで輜重兵で弾薬食料を前線に運び、負傷者、遺骨を本部に戻すと云うのを退役までずっとやってた。
銃弾の1発も撃たなかった。
そして、楽しかったそうだ。
でも『楽しかった』は言ったらだめなんだよなぁ…と言ってた。
遠回しに日教組の後頭部に蹴りを入れてるw
説得力ありすぎw
評論家は 日清・日露戦争 のような勝利したものについては
何も批判しないし戦争責任を問わず見てみぬフリをした。
ところが、負けた戦争が出てきたら 「悪い戦争、侵略戦争、原爆は日本側が悪い」とラベリングする。
彼らは平和を求めているのではなく、勝ち組(連合国)の代弁者をして酔っていたいだけだ。
狂信的なナショナリズムに狂った軍部と国民が絶望的戦争を始め、負けたと言う「わかりやすい」ストーリを皆思い描いてる(させてる)のを見るに日本はまた過ちを繰り返すのだろうなと思いますね
ヘタリア的な?
沖縄で育った子は殆ど例外なく戦争に関する作品を学校で見せられる。
その際、子供たちに教えられるのは「戦争の悲惨さ」であり、それらはグロスデスクな表現をもって子供たちの脳裏に刻みつけられる。「なぜ戦争が起こったのか」まで学ぶことは殆ど無い。ただ「戦争」とは身の毛もよだつ悪であり、トラウマであり、それについて思考したり論ずることの一切が禁忌と化す。
正直、このやり方をずっと続けていては、今後起こり得る戦争を未然に防ぐことはできないだろうと感じている。なぜなら「平和とは何か」を定義するとき、その対義である「戦争とは何か」を論じる土壌が失われ始めているからだ。戦争について語ろうとするとき、トラウマ的な感覚から抜け出すことができない。苦痛を覚え論じることさえままならない。結局、戦争について論じる機会を失えば、平和について考える機会もなくなる。「恐るべきもの」として強く定着させすぎたせいで、戦争について思考を巡らせることは億劫となり、最終的に放棄する。本末転倒だ。
平和を後世に伝えることは、戦争を後世に伝えることだと思う。けれど、その表現方法を偏ったものとすれば、それは思想の強要であり、決して深く根付くことはない。どころか、論じられることの機会を失う。今一度、平和を後の世代に伝えることについて、立ち止まって考える時ではないだろうか