【視聴数 570343】
【チャンネル名 サイコパスおじさん【岡田斗司夫 切り抜き】】
【タグ 伝説,講演会,サイコパス】
ひろゆきyoutube切り抜き厳選まとめサイト ひろゆきさんのyoutube切り抜き動画の再生数が多い物をまとめました!
【視聴数 570343】
【チャンネル名 サイコパスおじさん【岡田斗司夫 切り抜き】】
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「先人おたく」たちは、「オタク世界という文化」を、世間に認めてもらう為の「戦い」を、すっと続けて来た・・。ある程度の結果が実り、オタク世界というものが、(ある程度)一般的になった・・。それはとても良い事。でも、それと引き換えに、「オタク世界」という、一般の人たちは入れない、「ボクたちだけの、特別な世界(楽園??)」は、跡形もなく消え去ってしまった・・。 ←こういう事??
ぶっちゃけていう。
騙されるな。
オタクは生きている。
だって普通にオタクだもん。
だめですか?
この人は自分がオタクの王であることに固執したかっただけじゃん。
だから泣いたんだろ?
王から転げ落ちてただの評論家の涙な訳だ。
以前のオタクは理解をしようとしてたんだなぁ。
娯楽じゃなく、研究って感じ。
宮崎駿の言わんでもわかるだろう、もそういうことだったのか。
オタクが死んだんじゃなくて、テレビが死んだんだよ
こういう人たちの死屍累々の上に今の自分たちの快適な環境があると思うと感慨深いなあ
BL?腐女子?が5年前くらいに滅んだね。行間が読めなくても、男同士ということに何かおもねることがなくても、イチャイチャしてればそれでいい。何のてらいもなく、形骸化し、パッケージ化してしまったから「それでしか愉しめない味わい」は薄くなってしまった。マンモスを狩って料理して食べてたのが、介護されながら流動食流し込まれるかんじ。
最近岡田さんの動画ばかり見ているけど本当に言語化能力が神だわ。話が下手な大学教授が多い中、この人の生徒たちは本当に幸運だな。
今書いてる途中で気づいたけどさ、大学教授もオタクみたいなもんだよね。だって生涯かけてもいいと思えるほどその分野に没頭できているんだもん。それらは一般人には理解不能でも絶対に世のためになっている。学問って突き抜けるほどのオタクがいて成り立つんだよな。
何かに没頭できる人(依存症ではない)ってやっぱりかっこいいな、
オタクという概念の陳腐化、形骸化が起こり、オタクの寄る辺がなくなってしまった。
だからこれからの時代、自分がオタクである事を自負していくなら表現をしていかないと不安なままだよ、と。
幸い今の時代は、ツイッターもある、YouTubeもある、pixivやニコニコやコミケやブログや…。
表現の場所はどこでも良い、文化を伝えてくれた人たちに報いる為、今度は俺たちが「昔のオタクたちからこんな面白い事を学んだんだよ!」って継承していく番なんだね。
23歳大学院生男
全く恥ずかしげもなく、プリキュアや仮面ライダーが好きなことを周りに言いふらしています
岡田先生、中学生の時には戦車のプラモデルとスター・ウォーズを教えてもらいました。高校時代には機動戦士ガンダムを教えてもらった。作品の完成度に驚きながら懐かしいアニメ談義をする時間が好きでしたね。
スター・ウォーズのハン・ソロとガンダムのランバ・ラルのような渋い大人になりたいと頑張って来ました。
オタクは死んだのかな。確かに活動にしろイベントの参加にしろコイツは命と自我を賭けてるって奴は見なくなった。皆んなクールに虹を見てる。どうせなら嫌われるぐらいにそしてそれでも着いてくる厳選されたヤバい仲間を作る奴らはいなくなった。でも変化は絶対に訪れる、それがオタクは変化して来たってことかも。
でも自分的にはそれは落ちたなって気持ちにもなる。
やっぱ死んだのかな
この講演は様々な事柄に当てはまるなぁ。
先人たちの偉業によって市民権が得られたけれど、享受されていく間に先人たちが闘っていたものや目指したものから離れていってしまう。
私は何のオタクでもないけれど、自分の属するコミュニティーのことにも当てはまって考えさせられました。
自分は、第三世代以降の生まれだけど、第2世代的なマニアでたいいと思って文脈を汲み取っていきたいと思って、色々観ている。でも、再生数数回の超マイナーな作品から大作まで、「どこかから大量」出てくるんだ。出版一覧を見ていても常に膨大な量のライブラリーをあびせられて、批評したり流れをつかもうとすると、読んでる時間と考えてる時間を確保しなきゃ行けなくて、共通の文脈を持ってるオタク同士に巡り会えないし、どんなにファンでも分かち合える領域が狭いと感じる。だから感想をぶつけるのではなく、作品を勧める形になるし、共通言語を持つのがすごく難しいと感じるんだ。
広瀬アリスは言う。「庵野?誰それ」と。それに対し異を唱えるものあれば、「僕も私もオタクだけど庵野秀明とか知らないし」と謎の擁護が入る。一昔前まではそういった矢口真里パターンのミーハーはみんな嫌いだったはずなのに、いつの間にかオタクの定義は変わり、どんなに知識が薄かろうと、たとえビジネス臭がしようとも受け入れるらしい。寛容は不寛容よりも残酷である
コンテンツが増えて一つのものに没頭出来なくなったのかもしれないですね。
オタク講座!?
トランジスタ一個買ったことはおろか、ラジオデパートに出入りしたことも半田ゴテ握ったこともない人たちに、アキバ王を自称されてもなあ…
若いアニメファンの人が僕オタクって名乗り出るようになったあたりからオタクの質は変わったと思う。
おたくって自称するものではなくて、他人が認定するものだと思ってます。
知識にしろ愛にしろ周りの人たちが「あいつ スゲー!」って、言いながら「だってあいつオタクじゃん」って認められるモノだと思ってます。
世間に反発することで成長したオタク文化のアイデンティティの捉え方が変わった今、戸惑うのは仕方ないと思う。