【視聴数 570343】
【チャンネル名 サイコパスおじさん【岡田斗司夫 切り抜き】】
【タグ 伝説,講演会,サイコパス】
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【視聴数 570343】
【チャンネル名 サイコパスおじさん【岡田斗司夫 切り抜き】】
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強いオタクが少なくなったのは良くも悪くも世間に認められ始めたからだろうなぁ
俺はオタクを尊敬している。時間と金、物によっては自身の創造性を全力で注ぎ込むことができるのが羨ましい。そういった夢中になれる物に出会える感性は美しいと思う。
オタクとヲタクは違うぞ
鬼滅の刃とか呪術廻戦とか追っかけてる人とか見てるとBLEACHも見てってなる。和風テイストだし、カッコいいし、ハイセンスだし。
でも世間では流行ってないし、話題にもならないから見ないんだよね。
Amazon primeで配信されてても、最終章アニメ化してもきっと。
そうゆうので壁を感じちゃうわ。
オタクと追っかけの。
30:20
結局2021年現在はどうなんやろ
この後、『オタク社員は悪くありません!!責任は岡田商事のタチワニにあります!!』と泣きながら証券会社みたいにしたら面白かったのに
本来オタクって研究して発表するような人を指すと思うので、知ったことや趣味を自分の中で溜め込むのはただの引きこもりだよな。
萌えの語源が「燃え」であると言われているように、古くから(少なくとも100年近く前から)その手の感覚があったのは間違いないと思う。
例えば、発芽の意味での「萌える」と紅葉の盛んな様子を「燃える」と表現するのは意味合い的にも近い。
「燃える男」「燃える闘志」などは内部的な感動の盛んな事を一瞬で理解できるし、それが転じて独自のスラングとして瞬間的で萌しと言えるような発生の感覚を表するに「萌える」になってもおかしくはない。
果たして、現代のオタクに萌しを大切にしている人がどれほどいるのだろうか。その心の萌しを愛し、育むのではなく、徒に消費してしまってはいないだろうか。
現代人の消費は己の心にまで及んではいないだろうか。
これ10年前に聞きたかった
おたく文化はインテリが始めたから過激な事しかしないで、そうやって掲げた気高き理想もやがて大衆や高級官僚に飲み込まれてしまうのが嫌で世捨て人になるんですね
オッサンよ、神話になれ!
夢を追うと現実に追われる。少数でもいいから仲間を募って、走ることが楽しむコツ。
そうなんだよな
俺が「オタク」と自称出来なくなったのも、今まで観ていたアニメを心底楽しめなくなったからなんだよな……
マンガや小説を買っても、前ほども心が躍らないし、深夜にボリュームを下げてみるアニメも何のために観ているのか分からなくなったからなんだよ
『涼宮ハルヒの憂鬱』を観終わって、『今夜もハッスル』が始まる頃、藍色になった東の空を見た時のワクワク、背徳感が無くなってしまったんだ
最早、そんな頃の思い出に浸るように過去作ばかりリピートするようになってしまった
俺はもう大陸の崖にしがみつくしか出来なくなってしまった。
どっち付かずの半端者になってしまった。
この10年後に起こってしまったのが「オタクの飽和」。オタク文化の広がりすぎによりもはやファンですらないレベルの「見ただけ」「読んだだけ」「プレイしただけ」のいわゆる『ライトオタク』が大量に発生しちゃった。結果これまでの定義的なオタク(真オタク)とライトオタクの間で愛情的な面でかなりの差が生じてる。それこそ貴族的、エリート的思考を自然に持ってしまった真オタクから見れば「階級を偽る庶民」が現れて困惑する事態になった2010年代後半〜2020年代…
総人口が増えたおかげで母数が拡大
それに伴う感染爆発も並行しオタク的趣味の増加
とはいえオタク「的」趣味を持った人が増えたのであって、オタクと呼べる人はそれから知見を重ねればならず、病的に増えていくライトオタク層と数的釣り合いは得られず内部崩壊
結果的に人は分散し、昔はオタクというレッテルで固定化されていた人々が孤立する事で、ただのアニメが好きな人、漫画が好きな人、ゲームが好きな人、○○という作品が好きな人になってしまった
岡田さんはSFを例にあげて滅びた例があると言ったが、以前とは状況が違い、それが喜ばしい事でもある
何故なら母数が増えたお陰で、アニメが好きな人の中でも○○という作品が好きな人、ゲームの○○というタイトルの2作目は嫌いだが初作は好きな人、等という少し偏屈な愛好家ですら、以前とは比べ物にならない程の人口を有す事がある為、オタクという大きな括りや共通意識は必要なく、個人が好む作品の取捨選択をしてもその界隈の中で生きていきやすい流れが出来たのは良いことではないだろうか
この角度すげぇタイムマシーン3号の人みたいww
名乗ったものが「もう居ない」「要らなくなった」って自分で言うってめちゃくちゃ心に来ると思う…そこから建て直して話し続けるなんてすごい人だ…
そもそも、オタクって言葉が出てたとき、追求しないし作らない、マニアよりも広く浅く消費者の立場で楽しむ知識欲だけは肥大化した若者をオタクって呼んでた。
庵野監督のオタ批判、自分はオタじゃない宣言がエヴァだったように、種類が違うって認識だったはず。何で一緒にしちゃったのか。って、コレを見たときは思った。
IT革命によって「集団」の解体と再編が行われた事にも繋がる話だと思った。「普通」が解体されて、帰属先がなくなった。その葛藤、例えで在日朝鮮民族を引き合いに出したのは、言い得て妙だ。今回の話はヲタク文化が表層的になっただけで、今後、世の中が本当の意味で多様性を認める世界になるなら、こういった悲哀自体もなくなるのだろうね。