【視聴数 115494】
【チャンネル名 渡嘉敷勝男&竹原慎二&畑山隆則 公式チャンネル】
【タグ #渡嘉敷勝男,#竹原慎二,#畑山隆則,#ぶっちゃけ呑みトーク,#Boxing World Champion】
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自分にとって、当時、勇利のボクシングレベルの高さを見て、他の世界チャンピオン(日本人)が霞んで見えた中、川島さんだけは、技術で魅せる事のできる唯一のボクサーでした。素人ながら、テレビを通して、凄いと感じたし、世界戦を楽しめた。それ以降にそう思ったのは、長谷川穂積までいなかったかな。
毎回、思うけどゲストが話してるのにトカちゃん話の腰を折らないで。
割り込みしないで下さい。
トカちゃんの話じゃなくてゲストの話を聞きたいので。
いま考えたら竹原さん、よくミドル級のタイトル取れましたよねぇ。あの階級だとパンチ力や打たれ強さも大切でしょうし。軽量級は判定が多いから手数とかテクニックでなんとかなるかもしれませんが。凄いです
あぁー川島さん、変わんない!
世界チャンピオン時代の川島選手は 試合後の顔がいつも綺麗で ディフェンスが上手いのが非常に印象的だった。今では日本人2番目のお気に入りの選手です。
川島さん好きだったな。
スリッピングアウェイって川島さんで初めて知りました。ペニャロサ戦も途中ぐらつかせて効かせてるんですよね。今思うと逆に何であの試合負けたのかなって思う。
まだ根性ボクシングの時代に、よくこんなテクニシャン生まれたなあ
世界に誇れる日本人アンタッチャブル!
そういえば2連続KO負けしたって6回戦とか8回戦の時ですよね。
キャリア浅い時期に2連続KO負けして世界王者になったボクサーって他にいましたか?(^_^;)
挫折を乗り越えたのすごい!!
今ではメジャーなスリッピングアウェイを日本に普及させたのはこの人
やっぱりコアなボクシングの話とかスパーやっている回が好きだわ。
畑山さんに聞きます、今の竹原さんは身体的に大丈夫なんでしょうか?竹原さんのチァンネルには送りましたが、何か配信スピードから感じる事がありましたので、ここに送りました。
俺はフルスピードで世界ヘビー級チャンピオンになる人生だった!
一度世界タイトルを取った試合を見に行きました。
その試合も勿論良かったですが、5度目の防衛戦のセシリオ・エスピノ戦が凄かったです。判定でしたが、テクニックが凄くて、もっと見たいと思える感じで忘れられません。
こちらのお店行ってみたいです。
やっぱ本当に良いボクサーって謙虚なんだよなぁ。昔はもう少しやんちゃなイメージがあったけど、丸くなられましたね。
私は中島俊一さんが好きでした。
川島光夫さんはレンゴージム所属でした。
よくあることだが、渡嘉敷さんが「○○だよね」って話を割って要約してくると
だいたい「うーんそうではないんですけどね」みたいに否定されますよねw
川島チャンピオン、
好きでしたね!
あのファイティングスタイル、
ラッシュの前の
これからいくぞ!
っていう感じが、
すごく好きでした。
畑山隆則チャンピオンは、
好き過ぎて、
よく雑誌を買ってました!
キャリア序盤に負けた事実ばかりを強調してそれを「挫折」と括ってタイトルにもなっていますが、渡久地との東日本決勝は永い新人王史上、後にも先にも突出したハイレベルの内容。至極の新人王名勝負でした。 それをしっかり伝えないと、若い方や知らない方などにはただ挫折だけが浮き彫りになってしまっていてちょっと残念ですね。観た事無い方は「渡久地 川島」でツベ内検索すればトップに出てくるので、観戦お勧めです。
あと、川島会長自身、間違えていますが(13:45 ~)3勝して2敗1分ではなく、4勝して2敗1分ですね。 3勝3KO後に渡久地に敗れたあと、6回戦でKO勝利して4勝4KO1敗となった時点でA級トーナメントに出て川島光夫(薬師寺らに勝利した元新人王)に敗れたわけです。 現在ならば6回戦1勝しただけでいきなりランカーが大挙集うA級杯参戦は不可でしょう。
つまり、渡久地戦は至高のハイレベルな名勝負、川島光夫戦は出世を急ぎ過ぎた無謀なマッチメイクが仇となった試合。よってそこまで挫折挫折と唱えるほどでも無かった。これが真実です。そして2敗目以後向こう約8年、世界7度目防衛戦1-2陥落引退まで無敗街道でした。